2026年7月28日、南米ペルーで右派政党「人民勢力」を率いるケイコ・フジモリ氏が大統領
に就任しました。
ケイコ氏は、1990年代にペルー大統領を務めたアルベルト・フジモリ氏の長女です。今回が
4度目の大統領選挑戦で、左派候補との大接戦を制し、ついに大統領の座をつかみました。
報道では「ペルー初の女性大統領」と表現されることがありますが、正確には選挙で選ばれ
た初の女性大統領です。
ペルーでは、2022年に副大統領から昇格したディナ・ボルアルテ氏が、女性として初めて大
統領に就任しています。ケイコ氏は、国民の直接投票によって選ばれた初の女性大統領とい
う歴史的な立場になります。
今回は、ペルーがどのような国なのか、インカ帝国から現代までの歴史、フジモリ家と日本
の関係、そして中南米で進むとされる「右傾化」について、分かりやすく解説します。
ペルーはどこにある国?🌎
ペルー共和国は、南アメリカ大陸の西側に位置する国です。
西側は太平洋に面し、北はエクアドルとコロンビア、東はブラジル、南東はボリビア、南は
チリと国境を接しています。
首都は太平洋岸にあるリマです。
ペルーの面積は約129万平方キロメートルで、日本の約3.4倍。人口は約3,421万人です。
公用語として主にスペイン語が使われていますが、アンデス地方ではケチュア語やアイマラ
語などの先住民言語も話されています。国民は混血のメスティソが多く、ケチュアやアイマラ
などの先住民も暮らしています。
海岸・山岳・アマゾンが共存する国
ペルーの国土は、大きく3つの地域に分けられます。
海岸地帯「コスタ」
首都リマをはじめ、多くの都市や港が集中する地域です。
太平洋沿岸には乾燥した砂漠地帯が広がっていますが、川の周辺では農業も行われています。
ペルー料理で有名な魚介類のマリネ「セビーチェ」も、海に面した国ならではの料理です🐟
山岳地帯「シエラ」
南米大陸を南北に走るアンデス山脈の地域です。
標高の高い場所には、かつてインカ帝国の首都だったクスコや、世界遺産マチュピチュが
あります。
熱帯雨林地帯「セルバ」
国土の東側には、アマゾン川流域の広大な熱帯雨林が広がっています。
ペルーというとアンデス山脈の印象が強いのですが、実際には国土のかなりの部分をアマゾン
地域が占めています。
インカ帝国以前にも文明が栄えていた
ペルーの歴史というと、すぐに「インカ帝国」が思い浮かびます。
しかし、インカ帝国が誕生するはるか以前から、現在のペルー周辺では多くの文明が発展
していました。
チャビン、モチェ、ナスカ、ワリ、チムーなどの文明が生まれ、灌漑農業、織物、金属加工
、土器、道路建設などで高い技術を築きました。
有名な「ナスカの地上絵」も、インカ帝国より前のナスカ文化によって残されたものです。
チャビン、ティワナク、ワリ、チムーなどの文化や技術は、後に登場するインカ帝国にも大
きな影響を与えました。
アンデスに築かれたインカ帝国🏔️
15世紀ごろになると、クスコを中心にインカ帝国が急速に勢力を拡大します。
インカ帝国は、現在のペルーだけでなく、ボリビア、エクアドル、チリ、アルゼンチン、
コロンビアの一部にまで及ぶ巨大な国家となりました。
帝国内には「カパック・ニャン」と呼ばれる道路網が張り巡らされ、山岳地帯にある都市
や集落が結ばれていました。
インカには、現代のような文字はなかったとされますが、「キープ」と呼ばれる結び目の付
いたひもを使い、人口、税、食料などの情報を管理していたと考えられています。
かつての首都クスコには、精密に加工された巨大な石組みが現在も残っています。クスコは
15~16世紀、インカ帝国の政治・宗教・行政の中心地として、アンデスの広い地域を支配していました。
世界遺産マチュピチュとは?
ペルーを代表する観光地が、アンデス山中にあるマチュピチュです。
マチュピチュは標高約2,430メートルの山岳地帯に築かれた都市遺跡で、15世紀ごろに建設
されたと考えられています。
周囲の険しい山や森林と一体化するように、神殿、住居、農業用の段々畑などが造られています。
スペイン人による征服後に放棄されましたが、大規模な破壊を免れたため、インカ文明の
都市計画や建築技術を伝える貴重な遺跡となりました。現在は文化と自然の両方の価値を持
つ世界遺産に登録されています。
スペインによる征服と植民地時代
1532年、スペイン人のフランシスコ・ピサロ率いる遠征隊がペルーへ侵入しました。
当時のインカ帝国では、皇帝の後継者をめぐる内戦が起きていました。スペイン側は、その
混乱や先住民勢力間の対立を利用して皇帝アタワルパを捕らえ、インカ帝国を征服していきます。
その後、ペルーはスペインの植民地支配の中心地となりました。
クスコではインカ時代の石造建築の上に、教会、修道院、邸宅などが建設されました。そ
のため現在のクスコには、インカ文化とスペイン植民地文化が重なった独特の街並みが残
っています。
一方、植民地時代には先住民が鉱山や農園で厳しい労働を課され、人口減少や社会的格
差が広がりました。この時代につくられた沿岸都市と山岳地域の格差は、現代ペルー社会
にも影響を残しています。
1821年にスペインから独立
19世紀に入ると、中南米各地でスペインからの独立運動が広がります。
ペルーでは、アルゼンチン出身の独立運動指導者ホセ・デ・サン・マルティンがリマへ入り
、1821年7月28日に独立を宣言しました。
現在も7月28日はペルーの独立記念日です。ケイコ・フジモリ氏の大統領就任式も、この
独立記念日に行われました。
独立後のペルーでは、軍人による政権、政治家同士の対立、隣国との戦争、経済危機など
が繰り返されました。
1968年から1980年までは軍事政権が続き、1980年に民政へ移管されました。
1980年代に深刻化したテロと経済危機
1980年代のペルーでは、毛沢東主義を掲げる武装組織「センデロ・ルミノソ(輝ける道)」
が活動を拡大しました。
政府軍との内戦状態によって、多くの市民が犠牲になります。ペルー真実和解委員会は、
1980年から2000年までの政治的暴力による死者・行方不明者を約6万9,000人と推計しています。
経済面でも激しいインフレや財政悪化が進み、国民生活は混乱しました。
こうした治安と経済の危機の中で登場したのが、日系人のアルベルト・フジモリ氏でした。
アルベルト・フジモリ政権の功罪
アルベルト・フジモリ氏は、熊本県出身の日本人移民を両親に持つ日系2世です。
1990年の大統領選挙で勝利し、ペルー大統領に就任しました。
フジモリ政権は、大胆な経済改革によってインフレを抑え、治安部隊による作戦でセンデロ
・ルミノソを弱体化させました。このため、経済と治安を立て直した指導者として、現在
も高く評価する国民がいます。
しかし1992年には、軍の支援を受けて国会を解散する「自己クーデター」を実行。政権下
での人権侵害や汚職も問題となり、後にフジモリ氏は人権侵害事件などで有罪判決を受けました。
つまりアルベルト・フジモリ氏は、ペルー社会では今も「国を救った指導者」と「民主主義
を壊した権力者」という、正反対の評価を受ける人物です。
ケイコ・フジモリ氏とは?
ケイコ・フジモリ氏は1975年生まれ。父アルベルト氏が大統領だった時代には、ファースト
レディーの役割も務めました。
その後、国会議員を経て右派政党「人民勢力」の指導者となり、2011年、2016年、2021年の
大統領選に出馬しましたが、いずれも決選投票で敗れました。
2026年の選挙は4度目の挑戦でした。
決選投票では左派のロベルト・サンチェス氏と激しく争い、約1,800万票のうち5万票未満
という非常に小さな差で勝利しました。サンチェス氏は開票上の不正を主張しましたが、
選挙当局は異議を退けています。
ケイコ新政権の最優先課題は治安対策
ケイコ氏が就任演説で強調したのは、犯罪への対策です。
近年のペルーでは、恐喝、麻薬取引、違法な金採掘、組織犯罪などが深刻化しています。
ケイコ氏は軍を治安対策に参加させるほか、大規模刑務所の建設、犯罪組織への厳罰化、
裁判官の安全確保など、強硬な政策を掲げています。
また、民間資本を活用したインフラ整備、投資環境の改善、最低賃金の引き上げ、栄養
不足対策なども公約に含まれています。
ただし、強い犯罪対策が人権侵害や過剰な権力行使につながらないか、慎重に見ていく
必要があります。
父アルベルト氏の政権が強権政治へ傾いた歴史があるため、ケイコ氏には民主主義や司法
の独立を守れるかという厳しい視線も向けられています。
ペルー経済を支える銅や金などの鉱業⛏️
ペルーは銅、金、銀、亜鉛などの鉱物資源に恵まれた国です。
とくに銅は世界有数の生産量を誇り、電気自動車、再生可能エネルギー、送電網、AI関連
設備などで需要が高まっています。
鉱業はペルーの国内総生産の約10%を占め、輸出や雇用を支える重要産業です。2025年の
鉱業輸出額は約618億ドルに達しました。
一方で、鉱山開発による水質汚染や土地利用をめぐり、企業と地域住民が対立することもあります。
鉱物資源から得られる利益を首都や大企業だけでなく、アンデス地方の住民にも配分できる
かが大きな課題です。
なぜペルーでは大統領が次々に交代するのか?
ペルーでは2016年以降、辞任、弾劾、失職などによって大統領が相次いで交代しました。
背景には、政党の基盤が弱いこと、大統領と国会が対立しやすい制度、汚職疑惑、政治家
に対する国民の不信があります。
選挙で大統領に選ばれても、国会に十分な支持勢力を持っていなければ、政権運営が行き
詰まってしまいます。
ケイコ氏は2016年以降の混乱の中で10人目の大統領となり、この間に5年間の任期を全
うした大統領はいません。
ケイコ氏の「人民勢力」は新しい国会で最大勢力となる見通しですが、単独で自由に政策
を進められるわけではありません。他党との協力や国民との対話が欠かせません。
中南米の「右傾化」が進む理由
ケイコ氏の大統領就任は、中南米で進む右傾化の流れを象徴する出来事ともいわれています。
近年、中南米の一部の国では、次のような問題が深刻化しています。
・犯罪や麻薬組織の拡大
・物価高と雇用不安
・経済成長の鈍化
・汚職や政治不信
・移民や国境管理の問題
こうした不安を背景に、強い治安対策、市場経済の重視、米国との関係強化などを掲げる
保守系候補が支持を集めています。
ただし、中南米の国民全体が思想的に右派へ変わったと単純に考えることはできません。
有権者が左派政権の実績に失望すれば右派へ投票し、右派政権に失望すれば再び左派へ投
票するという、政権への反発が選挙結果を動かしている面もあります。
ケイコ氏の勝利も、保守思想への支持だけでなく、犯罪や政治混乱を何とかしてほしいとい
う国民の切実な思いが反映された結果と考えられます。
まとめ|歴史的政権はペルーを安定させられるか
ペルーは、インカ帝国やマチュピチュに代表される豊かな歴史と文化を持つ国です。
同時に、植民地時代から続く地域格差、先住民の貧困、政治腐敗、治安悪化など、複雑な
問題も抱えています。
ケイコ・フジモリ氏は、選挙で選ばれたペルー初の女性大統領として、歴史的な一歩を踏
み出しました。
しかし、父アルベルト・フジモリ氏の功績と負の遺産を背負う、非常に評価の分かれる政
治家でもあります。
今後の注目点は、犯罪を抑えながら人権と民主主義を守れるのか、分裂した国民をまとめ
られるのか、鉱業による成長を地方の生活向上につなげられるのかという点です。
ケイコ政権が5年間の任期を全うし、長く続いた政治不安を終わらせられるかどうか。
その行方は、ペルーだけでなく、中南米全体の政治の流れを占う重要な試金石になりそうです。



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